沈竈・容膝
(ちんそう・ようしつ)
作者 | 冨田 溪仙(とみた けいせん) 作者について |
素材・技法 | 紙に絵具(えのぐ)・墨(すみ) |
制作時期 | 1913年 |
サイズ | それぞれ たて 211.0cm × よこ 88.8cm |
この縦に長い2つの絵は、東アジアに昔からある、室内をかざるための「掛軸」(かけじく)という形式の絵です。しまうときは巻いておき、かざるときは上から下へと垂れ下げます。《沈竈・容膝》はこの縦長の形を上手くつかっています。
桐の木と家と働く人をえがく「容膝」は真横からに近い視点で描き、垂直方向に伸びている木の大きさや力強さを強調します。縦長の画面いっぱいの大きさです。リズミカルにくり返し描かれた葉っぱからも木の勢いを感じます。その分、人々はその間に縮こまって生活しているようです。
水面の波のなかを人々が移動している「沈竈」は、少し上からの視点で描かれていて(「俯瞰」(ふかん)といいます)、水平方向に広がる水面の大きさを強調します。線は太い・細い、濃い・薄い、こすれている・こすれていないとうまく描き分けられていて、これまたリズミカルに画面を埋め尽くす波線は、果てしなく広がる水面の様子とそれに向き合う人々の大変さを伝えてきます。
絵のタイトルの「沈竈」(ちんそう)とは「竈」(かまど。鍋などをかけて、下から火をたいて調理するための設備)がしずむことで、とても激しい洪水(こうずい)のたとえです。中国の春秋時代、晋(しん)という国の武将・智伯(ちはく)が城を水攻めにしたときに、民家のかまどからカエルが生まれるほど長い間水につかったという話がもとになっています。生活が出来なくなった城の人々が避難(ひなん)していく様子を描いたものです。
「容膝」(ようしつ)とは「膝」(ひざ)がはいるだけの小さくて質素(しっそ)な住まいのこと。こちらは陶淵明(とうえんめい)という中国の詩人の詩にでてくる言葉です。都会での生活がイヤになり、仕事をやめて帰ってきた故郷の家について「南の窓にもたれてくつろいでいると、膝がはいるだけの小さな部屋でも(我が家は)ゆったりと落ちつくものだと良く分かる」とうたう一節にでてきます。
「沈竈」「容膝」もどちらも人々の生活の大変さを描いたものですが、人々の表情や、リズミカルな水や葉っぱの描き方には、どこかユーモラスな雰囲気もあります。「容膝」がもとにした詩を考えると、大変な生活や状況でもたくましく生きる人々に共感したり、好ましく思ったりする渓仙の気持ちもあるのかもしれません。
想像してみましょう!
(左)1階と2階の人は何をしているところですか。
(右)大変!洪水が起きて、みんな避難しています。
どんな音が聞こえてきそうですか?
その音はどこからしますか?
何を話しているのかな。
吹き出の中にセリフを入れてみましょう!
あなたも色々な線をひいてみましょう!
ふとい線、ほそい線、うすい色の線、こい色の線・・・・
やわらかい線、力強い線・・・・