坂本繁二郎(さかもと はんじろう)
まっすぐに描き続けた探究者
坂本繁二郎は、絵を描くことが好きで子どもの頃からその才能を発揮していました。地元で図工の先生をしていましたが、同級生の画家・青木繁に影響され、20歳で画家になる決心をして上京します。絵画学校では、描く対象となる自然に目を向けてよく観察し、見たものをありのままに描いていました。その後、色使いは明るく、輪郭線はあいまいな表現に変わっていきますが、よく見て写し取ろうとする姿勢は晩年まで変わることはありませんでした。
展覧会に入選するようになり、牛を描いた作品で自信をつけます。繁二郎は場面を変えて何度も牛を描き、絵画表現についての考えを深めていきました。そして一つの対象を繰り返し描くことで、その絵の内容を高めようと試みていました。
32歳のときに新たな表現を求める画家たちと美術団体「二科会」を立ち上げ、そこで作品の発表を続けます。
《柿》1925年 油彩・画布 45.8×61.0cm 福岡県立美術館蔵 |
39歳でフランスに留学して海外の様々な作品に触れても、そのものが存在することを捉えようとする繁二郎の姿勢は変わりませんでした。帰国後は東京から離れて故郷の福岡へ戻り、八女のアトリエで制作を続けます。
帰国後の主なモチーフには馬が登場します。何枚も描いて展覧会に出品もしていましたが、作品は失敗の連続だと言い、同じ題材を描き続けました。アトリエの近くに放牧されていた馬を描いていましたが、繁二郎が取り組んでいたのは、いかに自分の追い求める絵を描き出すかでした。一度完成させた絵に満足できず、何年も経ってから描き直すこともありました。そこまで徹底的に一つの対象に向き合い続けるのが坂本繁二郎でした。
《放牧場》1967年 油彩・画布 33.6×46.0cm 福岡県立美術館蔵 |
さらに歳を重ねていくと、またモチーフが変わっていきます。
視力が落ちて外に描きに出かけるのが難しくなると、アトリエ内で果物や石、箱や身近にある生活用品などの品々を描くようになります。それらの静物画には具体的な背景は描かれず、様々な色の中にモチーフが存在感をもって描かれました。中でも特に力を入れていたのは、能面です。自ら面を集め、「能のあじわいを油絵で出してみたい」と、組み合わせや配置を変えて30点以上の絵を描きました。能面は置き方や見る角度によって表情が変わるため、繁二郎にとって探究心がくすぐられるモチーフだったのかもしれません。
《能面》1955年 油彩・画布 33.5×49.5cm 福岡県立美術館蔵 |
最晩年になると夜空に浮かぶ月をモチーフに選び、月のやわらかな光、雲の流れで変化する一瞬の空の様子を描きました。
《月》1966年 油彩・画布 60.5×73.0cm 無量寿院蔵(福岡県立美術館に寄託) |