大内田 茂士(おおうちだ しげし)
1913年-1994年 福岡県出身
さまざまな手法で独自のスタイルを生んだ画家
大内田茂士は、9人兄弟の長男として生まれました。長男で跡取りであったことから一度は絵画の道を諦めていましたが、画家の浜哲雄や指導を受けていた高島野十郎から画家になるようすすめられたことで、24歳のときに東京で絵を学び始めました。
東京に出て始めの頃は室内で静物画を多く描きました。モチーフをどのように並べるか、それらをどの位置から見るかなど構図を工夫し、目の前に作った空間そのものを描いたような絵です。絵の中に並んでいるのは、花瓶やサイドテーブルなどのアトリエで愛用していた物でした。
《静物》1949年 油彩・画布 90.5×91.0cm 福岡県立美術館蔵 |
大内田の絵の中では、黒が多く使われているのも特徴的です。自分の中でじっくりと熟させた色を使うべきだと考えていた大内田は、黒を自分の大切な色としていました。風景画の中でも黒い色が印象的に使われています。
《波太》1954年 油彩・画布 136.0×151.4cm 福岡県立美術館蔵 |
43歳の時には約半年間かけてヨーロッパを旅行し、新しい抽象絵画に刺激を受けました。旅行の前から大胆な筆つかいや色の面を並べるような表現をしていましたが、帰国後には単純な形で表すなどの抽象的な要素がさらに強くなった風景画を描くようになりました。
また、描き方も色々試みました。たとえば、絵具で描いた後にそれを剥がして、また上から描く、または、描いた後に絵具を引っかいて削る、などです。こうした方法で描きながら、自分が描く風景をどのように表現するかを考えました。
大内田は具体的な主題を描いていますが、見たままには描くのではなく、描き方を工夫して絵の表面に独特な質感を作り出しました。伊豆大島では椿の木々や花を何度も取材し、それをもとにした風景画をたくさん描いていますが、絵の中には椿の花だとわかるところもあれば、何だかはっきりしないところもあります。具象と抽象が混ざり合うスタイルは独自の持ち味になりました。
《椿咲く》1972年 福岡県立美術館蔵 |
その後大内田は再び静物画に取り組みます。しかし始めの頃の静物画とは様子が異なり、ここでも独特の質感で描かれました。モチーフは、張り子の馬や兎、仮面、鳥の剥製、サボテンなどに変化しています。この頃から、描くほかにコラージュという方法で、新聞紙や壁紙といった物そのものを絵の中に貼り込む表現方法も取り入れました。
《張り子の兎たち》1981年 油彩、コラージュ・画布 135.2×119.8cm 福岡県立美術館蔵 |
最晩年に取り組んだのは、アトリエの周辺の町並みとカラスの剥製を組み合わせた絵でした。空を見上げると電線が空を区切っているように見える様子にひかれ、電線の黒い線や標識の色や形などが並ぶ中に、お気に入りのカラスを登場させて描きました。ここでも引っかいたりコラージュしたりと、様々な工夫を盛り込んでいます。
《落合の街角》1993年 油彩、コラージュ・画布 160.5×183.8cm 福岡県立美術館蔵 |
大内田は自分の画家としての活動について、「生活を芸術」することだと言っています。それは、日常生活の中で見たものや感じたことを何でも描く姿勢のことで、表現は自分の外側に自然に出ていくことでした。また、「絵を残すのが大切」と言って保管していた多くの絵は、大内田が亡くなった後に福岡県立美術館に寄贈されました。