尾形家(おがたけ)

江戸時代

技術をたくわえて活躍した画家集団

 

江戸時代、福岡藩黒田家(ふくおかはん・くろだけ)に仕える「御用絵師(ごようえし)」として活躍していた尾形家一門。初代から第9代までの画家(絵師とも呼びます)が活躍しました。御用絵師とは、徳川幕府や各地の大名の元で、さまざまな絵に関する仕事をする画家の職業のことをいいます。中でも将軍家に仕えていた狩野家(かのうけ)は江戸時代の御用絵師のリーダー的な存在で、尾形家の人々は狩野派の画家に学び、その元で修行を積みました。

当時の画家の仕事は、お殿様の肖像画を描く、宴会の席で絵を描く、襖や屏風に描いて部屋の中を装飾する、神社やお寺に奉納するための絵を描く、出来事を記録するために描く、など幅広くあり、ときにはお殿様の絵の先生になることもありました。

絵を描く達人であることが求められていた画家たちは、その制作の参考にするためのお手本となる資料を持っていました。それらは「粉本」と呼ばれ、新たな資料を足しながら代々受け継がれていくものでした。さまざまなモチーフを写生したもの、下書きの絵、模写なども含めて、先代たちの技術と知恵が詰まったたくさんの資料は、重要な仕事を行なっていく上で欠かせない参考書として大切に保管・活用されていました。

尾形家にも代々受け継がれてきた手本があり「尾形家絵画資料」として約4800点の資料が福岡県立美術館に収蔵されています。

 

西湖図
尾形洞谷(おがたとうこく)《西湖図》1791年 紙本淡彩 117.0×67.0cm 福岡県立美術館蔵

尾形洞谷(おがたとうこく)の《西湖図》の右下には、「寛政三年(1791年)の7月中旬に、江戸において洞谷がこれを写す」という書き込みがあります。絵の元々の作者は狩野派の総帥の「狩野探幽(かのうたんゆう)」。実力のある絵師の作品を模写することで、描き方を研究したようです。それらも資料に加えて残していくことで、一人の画家の学びが一門の学びとなっていきました。

尾形家絵画資料の中には、人を描いた絵もあります。

黒田長政像
作者不詳《黒田長政像》制作年不詳 紙本淡彩 80.0×72.0cm 福岡県立美術館蔵

これは、藩主の黒田長政(くろだながまさ)を描いたものです。例えばお殿様の肖像画を描くとき、絵が完成するまで何度も本人を見ながら描くことはできませんでした。会うことが許された限られた時間にスケッチを残しておくことで、画家はこれらの図や過去の下絵を元にして何枚も肖像画を完成させることができました。

写生帖には、様々な海の生き物、鳥や動物が描かれていてまるで図鑑のようです。生き物を描くのにはどんな風に線を描いたらよいのか見本になりそうな図もあります。

魚貝写生帖
小方守義、尾形探香《魚貝写生帖》1670年/1847年 紙本着色 38.0×58.0cm 福岡県立美術館蔵

写真がない時代は、物の姿形や特徴を言葉以外で伝えるのには、絵で示す必要がありました。対象をよく観察し正確な記録として写しとることは、美術の分野だけでなく、動植物や鉱物についての研究分野でも重要なことでした。